フリーランスウェディングプランナーになってプロデュースさせて頂いたカップルは100組を超えました。一組一組、打ち合わせや当日のことなどたくさん大切な思い出がありますが、その中でも特に印象に残った結婚式をご紹介させて頂きます。
ある日、ホームページのお問い合わせフォームに下記の内容が送られてきた。 新婦から送られてきた内容は①余命宣告をされたお母様のため結婚式をしたい②残された時間はわずか、できるだけ早く行いたい③できるだけ負担がかからないように自宅で行いたい
このような内容で実際に希望された日程は、この日から10日後。しかも急いで10日後に行うとしてもお母様の容体が急変するかもしれないという状況。
結婚式はスケジュールとしては半年から1年くらい前に問い合わせがあり、徐々に内容を決めていくのが一般的。今回はこの時点でわずか10日間しかなく、希望される日程も土日。状況からして大勢のスタッフがぞろぞろと伺うにも何かとご負担をかけてしますので最小限のスタッフで行うことを決め、プランナーの私はプロのカメラマンでもあるのでプランニングと当日の装飾やレイアウト、進行役と共に、撮影・司会・音響をすべて一人で行うことを決める。
唯一、私ができないことは新婦のヘアメイクとドレスの着付けである。すぐにメイクさんに連絡をするとちょうど予定が空いたのでスタッフの確保ができた。 ドレスショップにも連絡を入れ、早速衣裳合わせの日程も確保できた。
自宅婚を取り扱うプロデュース会社はそれほど多くはない。数社見積りを取っていたいそうですがご自宅が兵庫県に対して、東京の会社などは数名のスタッフと旅費がかかるため、一人何役もできる私だと費用も抑えられる。ご成約まではそれほどお時間もかからなかったため、数日後初めてご自宅に伺いました。新婦の希望とお母様の状況を伺いました。この日はとても気候の良い春ごろ。お母様はこの年のお正月はいつもと変わらない元気な様子だったのに、末期の病気が発覚してからはものすごいスピードで体調が悪化。その場にお母様もいたが椅子に座ったまま、ほとんどしゃべることができない状態であった。自宅の大きさや家具の配置など確認して結婚式のレイアウトやイメージが固まり各手配を進めると同時に新郎新婦には衣裳合わせを行って頂いて、ドレスとタキシードの準備が整う。
お母様の容体がさらに悪化しているとのことで、当日は椅子ではなくベッドで寝たままの状態で、新郎新婦はそちらを向いて行う挙式へのスタイルを提案する。すべての準備が整い。当日を無事に迎えられるように願う。
当日の朝はドレスショップに向かい、お二人が着られるドレスとタキシードを車に積込みメイクさんを横に乗せてご自宅へ向かいました。すぐに会場の装飾や家具の移動などを行い結婚式をできる準備を行い、新婦のヘアメイクも同時進めていました。ご自宅には看護師さん数名も待機されており、看護師さんの一人が私に質問されました。『挙式の時間はどれくらいですが?』内容としては入場して、誓約の言葉があり、指輪交換などと通常の結婚式と同様の内容に、披露宴のラストで行うような『新婦からの手紙朗読』を予定したので15分程度で予定しておりました。看護師さんが『かなり弱っていますのでほとんど意識がないかもしれない』と伺いました。医師は『今晩あたりが峠となりそう』だとおっしゃっておりました。
イメージとしてはすべてのことを一人で行うので『新郎新婦の入場です!』とコメントを入れて、音楽を再生する。すぐにカメラを構えて撮影を行いながら新郎新婦を誘導。音楽をとめてしゃべりだす。。。このような繰り返しになる。新郎新婦の準備が整い、家族と数名の友人も訪れてスタンバイ完了、ついにスタート。
入場→誓いの言葉→指輪交換→ベールアップ→誓いのキス そして新婦からの手紙。お母様の周りには看護師3名がベッドのすぐ横に待機しているがお母様は目を閉じたままで意識がないような状態であった。新婦から心のこもった手紙を読んでいる姿を私も涙をこらえながら撮影を行いました。この時起きていた奇跡はこの段階では知りませんでした。
挙式は何とか実施することができて一安心。せっかっくなので近くの公園で花嫁姿をしっかり撮影してお家に戻ると、最近お店を開業したばかりでなかなか仕事が抜けられない弟さんも来られたので皆さんそろってご家族の記念撮影を行って、新郎新婦は2階でお着替えをしてもらいました。お母様がいつでも見れるように、パソコンとプリンターを持参していた私はその間に、撮影した写真を即日納品できるようにデータ補正とプリントアウトするように作業を進めていました。その時、隣の部屋からお父さんの声で『お母さんもう息していない!』パソコンで作業した私の手も一瞬止まり、涙が込み上げてきました。
お母様の限界はすでに過ぎていたのだと思います。娘の結婚式が終わり家族全員が揃うまでは気力だけで生き抜いた最期の意地だったのかもしれません。
看護師さんがおっしゃっていたのは、意識のなかったお母様でしたが新婦が手紙を朗読していた時に、閉じていた目からは涙がでてきて、時折うなずくような反応があったとのことでした。本当に奇跡が起きていたのだと思います。
医師が到着し、最期の診断とそのあと続く出来事はさっきまで結婚式を行っていた場所とは思えない不思議な光景でした。
新郎からは「本当にありがとうございました。改めて人の役立つお仕事って素晴らしいと思った。」 新婦からは「お母さんが逝ってしまったのは残念だけど間に合ってよかったです。」と感謝されましたが、私とメイクさんも普段は笑顔でおめでとうございます~!とお見送りするのですが、この日はかける言葉もどのよな表情で対応していいか全くわかりませんでした。帰りの車中には今まで体験したことのない複雑な感情だったのはとても覚えています。
奇跡や素晴らしいご縁をいうのは続くもの
奇跡の結婚式から数か月が経ち、少し落ち着いた新婦からは改めて感謝のメールが届きました。そして新郎様からもメールが届き、「人の役に立つ仕事がしたい」とおっしゃいた新郎様が写真スタジオをオープンすることになり、ぜひ利用してほしいという内容でした。そしてこのスタジオでもご縁とご縁がつながり、また奇跡が起きるのですがその内容はまた次回のブログで書きたいと思います。
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